“なにくそ精神”で勝ち取った、インカレ総合優勝
「最後まで何があるかわからない、絶対に諦めるな」
2021年8月に行われた2年ぶりのインカレ。。このロードレースで日本大学がトップ3に入り、中央大学を引き離すことができれば、逆転も夢ではない。いつもは細かい指示を出さないという井上監督も、この日は雷雲を警戒し“30秒以内で集団をコントロールしろ”と声をかけた。普段なら1~2分差などすぐにひっくり返せるこの群馬CSCコースで、雷による周回数短縮を警戒したからだ。
その結果、優勝こそは逃したものの2位、3位に日本大学が入り中央大学を土壇場で逆転。2018年以来のインカレ総合優勝を勝ち取った。
中央大学に完走者がいなかったことも勝利の要因だと語るが、注目すべきは伝統の“なにくそ精神”。2位の仮屋和駿選手はコロナウイルス陰性ながら濃厚接触者として直前まで隔離され出場が危ぶまれていたが、井上監督の徹底したマネージメントとPCR検査を経て、当日の朝7時の無事に出走許可が下りた。また仮屋選手と3位の片桐東次郎選手をゴール直前まで引っ張り上げた兒島直樹選も、2度の落車と機材トラブルで心が折れそうになるが、井上監督からの檄を受けペダルを回し、見事チームの総合優勝に貢献した。
最後まで決して諦めない。初代監督の浜中一泰氏が掲げた“なにくそ精神”が、現代にもしっかりと受け継がれている。
選手からコーチ、監督へ。30連覇で見えたもの
井上監督が自転車競技をはじめたのは高校生のとき。通っていた神奈川・桐蔭学園に自転車競技部がなく、東京・練馬区のショップ、ラバネロのチームに入ったことがきっかけだった。競技歴は浅かったが、すでにインカレ優勝の常連校となっていた日本大学の当時の竹花 敏監督に「一般入試で合格したら入部させてください」と懇願し、その4年後にはコーチとして後輩の指導にあたることになった。
「コーチとしてチームに携わるようになり、まずはこれまでの最高連覇である9連覇を超える10連覇を目指しました。それこそ、何がなんでもという勢いで。それを達成すると、次はどうせなら20連勝を目指そう。そうやって地道に勝利を積み重ねてきました。2004年からはコーチという立場から引き受けるつもりのなかった監督へ。これまで以上の責任やプレッシャーを感じたこともあり、20連覇を超えたあとは心のどこかで“早く負けて終わりにしたい”と思うこともありました。」
当時、連勝中の日本大学は勝ち続けるために入学から数カ月でコーチや監督が学生の適性を判断し、4年間専心する種目を決定する方針をとっていた。種目の割り振りだけでなく、練習メニュー、キャプテンやレギュラーの選出などもすべて監督やコーチが決めていたが、20連覇を超えたあたりで方針をガラリと変えた。過去のインタビューでもあるように、きっかけはOBから井上監督に向けられたという言葉。今では選手が自主的に動き、“自分たちに足りないものは何か、今必要なものは何か”といったことを常に考えている。
選ばれた選手だけが、チームを象徴するあのジャージを手にできる
大学に限らず、自転車チームの場合は所属するライダーがチームウエアを買い取り、レースや練習で使用しているというイメージが強い。ところが、日本大学は大学自転車競技部では珍しく、選手個人がチームウエアを1枚も所有していないという。それどころか日本大学では、ウエアの発注からレース後の洗濯に至るまで、井上監督がすべてを管理している。
「チームウエアは基本、試合の日の朝に選手に渡して終わったらすぐに回収しています。長く大切に使うためネットに入れて丁寧に洗濯して、乾燥機なんか絶対かけません。ゼッケンを止める安全ピンも、大会で支給される一般的なサイズのものは使用せず、針の細い2サイズほど小さなものを用意しています。1枚のゼッケンを8箇所の安全ピンで固定すればゼッケン固定時の破れを最小限に抑えることができるので、選手にもそのように指導しています。チームの象徴でもあるチームウエアは常に綺麗な状態でありたいですから。学生時代からそうでしたが、いいジャージはレギュラーにならないと着られない、着たければ強くなれ、ということです。」
パールイズミの創業者である清水弘裕氏は日本大学卒で日本大学とはつながりが深く、長年ウエアを使用いただいている。ファスナーの仕様やパッドの厚みなど、選手からの要望を細かく反映したチームウエアは、まさに選手にとっては憧れの1着。スクールカラーの緋色をもとに、運動競技用にアレンジされたピンク(桜色)が鮮やかにプリントされたチームウエアは、プロトンの中でもひときわ目を引く存在だ。“ウエアに関しては実際に着用する選手の意見が100%だ”と答えてくれた井上監督自身もまた、学生時代はこのウエアを着るために厳しい練習の日々を送っていたという。
学生時代から不変の学業優先のスタイル
日本大学の自転車競技部は学業優先のスタイルを貫いている。平日は授業に影響がでないよう、朝4時半から朝練がスタート。朝練には井上監督自身も毎日欠かさず帯同し、練習場所までの送迎はもちろん、交通量の少ない朝の時間帯に都心を抜け、混みだす時間までに帰ってこられるよう、距離や時間を日々調整している。
また、平日の内から遠征先に前乗りし、合宿を兼ねてレースに参戦する大学が多い中、日本大学は授業が終わった金曜日の夜に試合会場へと向かう。前乗りするレースは夏休み期間に行われるインカレのみだという。
「レースに勝つことも大切ですが、学生の本分は勉強ですから、まずは卒業するためにしっかりと授業を受け単位を取るということが大前提です。そのうえで、インカレは大学のため、国体は出身県のために走る。プロとして声がかかることもありますし、国体で活躍すれば地元に戻ってからも就職もしやすいですから。学業優先ということもあり、ピーキングを前倒しにすることは難しいですが、夏から秋にかけて行われるインカレと国体だけは、何とか調整して結果も出せています。
※2022年6月全日本学生選手権個人ロードタイムトライアルにて
また、郊外での練習が欠かせない自転車競技にとって、都心の真ん中に活動拠点を置く日本大学のキャンパスは理想の立地とは言えませんが、それらを補って余りうるほどの設備と指導体制が魅力でもあります。学生寮の地下室には、パワーマックスやワットバイクが十数台並んでいて、天気の悪い日はもちろん、日没から夜の12時まで、学業に励みながらも質の高いトレーニングができる環境が整っています。また、各キャンパスにはウエイトルームや温水プールなどの設備も充実しています。それぞれの分野に優れた指導者が在籍しているという点も、他大学にはない強みのひとつでしょう。」
チームから個人へ、これからの選手に期待すること
以前はJBCFなどのレースとの兼務を一切認めていなかった日本大学だが、30連覇を機に現在では多くの選手が学連以外のレースにも積極的に参戦している。エースの仮屋選手に至っては今シーズンから地元・和歌山のプロチーム、KINAN Racing Teamに所属。学連レースにプロツアーと二足のわらじで活躍している。
「以前はインカレだけで勝負させていたところがありましたが選手の活躍の場が少しずつ移っている今、チャンスがあればどんどん他のレースにもチャレンジをさせたいと思っています。名前が上がった仮屋もそうですが、トラックではジュニア日本新記録を2つ樹立した2年の伊藤京介も今後ますますの活躍が期待できる選手です。チームの優勝だけがすべてだった“勝利至上主義”はもう終わりました。いつまで監督という立場でやっていけるかはわかりませんが、若い人たちにきちんと世代交代ができるようにしたいですね。」
“世代交代”と言葉にした井上監督の表情は明るく、これまでの監督としての活動がいかに充実していたものかが伺える。いつくもの選手と向き合い、立派な社会人として世に送り出す。いつかくる世代交代のときまで、井上監督の指導は今日も続く。